昭和49年には学校制服に「S.I(スクールアイデンティティー)」の考え方を発表していた。 50年代になると、特に高校においては第二次ベビーブーム対応で新設ラッシュを迎え、既存校との違いを明確にし、新しいイメージを確立しようとする新設校を中心に、続々と学校別制服が導入され60年代にはいると本格的にS.I提案を採用する「新制服時代」の時を迎える。
60年代になると学校制服の導入は営業活動の新しい切り札として業界全体に広がっていく、テイコクの提唱していたS.Iの考え方がやっと浸透したのだった。学校別制服が一般化するにつれデザイン面で各社がそれぞれ特色を出すことに努力を始めた。学校からの要求もオリジナリティーの高い制服を選ぼうとする傾向が次第に高まってきた。こうしたなかで起こるべくして起こった学生服のDCブランド化であった。
学校制服の流れに対応するには営業から生産、物流までが革新しなければならなかった。 多品種少量生産、短納期での生産物流対応が求められてくるとそれまでの大量生産型からの脱皮である。テイコクは時代の流れを読み、いち早く営業情報・生産管理・物流管理のIT化を推進させ整備を進め、60年代から本格的に始まる個別学校制服に威力を発揮し大きな信頼を得た。
制服に対する意識が大きく変化していくなかで、学校側の制服に対する関心も高まり、メーカーに対して情報提供を求める学校が増加してきた。制服展示会への出席に止まらず、さらに学校関係者が積極的にメーカーへ直接訪問を希望される傾向が見え始めた。このことは商品情報だけでなく企業力そのものが採用の評価基準になるという流れに変化を始めたのである。